日々つれづれ

三浦春馬さんと芦名星さんに思う事

4連休3日目。

キリン特製レモンサワーを飲みながら。

自分の経験からしか話の展開が出来ないのですが。

私の育った環境は、曾祖父母と一緒に暮らしていたのもあって『死』と言うものが身近にありました。

老いて命が尽きる。

大往生。

順番。

と、私は感じていました。

それが自然の摂理であって、悲しむことはあってもその死には回避できない必然が強く存在していた。

『自然な死』

題にあげたお二人は、そうではない。

自分で自分の最期を選んでしまったのであろう、自死。なのかな。

あなた達が亡くなって、あなた達が、顔を合わせたことも言葉を交わしたこともない人たちが悲しんでいます。

あなた達が亡くなって、あなた達が残した数々の作品を見た人たちがあなた達の死を惜しんでいます。

あなた達が亡くなって、数えきれないほどの人たちが涙を流しています。

でもそれは亡くなった今だから分かることで。

生きているときには分からなかった事。

そして、一番に伝わって欲しい本人たちには伝わっているかも分からない。

こんな不毛なこと無い。

死んだら終わり。

てゆーか、死ななきゃ逃げられない!

って思うぐらい頑張ってんじゃねーよ!!!

死にたかったんじゃなくて、変えたかっただけじゃないの?

変える方法が死ぬことしか思い浮かばなかったんじゃない?

死にたい。

と思ったら、自分がどうして死にたいかを今一度考えてほしい。

死にたいんじゃなくて、きっと、変えたいだから。

周りの人や仕事なんて、関係ないよ。

自分自身が一番大事。

自分を守るのは自分自身。

自分を苦しめたり追い込んだりする存在は、例え親であっても関わる必要はない。

良い子でいる必要なんてない!

逃げて!

何とでもなる!命があれば!!!

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